料理人生

講談社刊「毎日がおいしい工夫」(1998.11.15)より転載

アンさんとの幸せな出会いから、私の「おいしい工夫」が始まりました。

私は、学生からいきなり主婦になりましたが、台所仕事に関しては、すでに相当のキャリアの持ち主でした。

じいや、ばあや、ねえやさんたち、合わせて5人のお手伝いさんが居ましたが、病気がちだった母にかわって、幼い頃から台所に出入りしていたからです。

両親はそろって食通で、母の願望を込めた健康志向、教え上手だったお手伝いさんたちのおかげで、私は自然に料理に興味を持って、無類の料理好きになっていました。

私は料理が大好きで、夫はお客さまが大好きだったので、たちまち気軽なお招きが始まりました。
ちょうどアメリカ勤務を終えて帰国したばかりの、夫の同僚、望月氏とアンさん夫妻も何度かお招きしたところ、アンさんが「日本の家庭料理を教えて」と…。

アンさんにアメリカンクラブの仲間が加わって、12人の外国人に料理を教える話が、アッという間にまとまりました。 料理は大得意でも、教えたことはありませんでした。

しかも、日本の料理はまるで知らない外国人に教えることになって、生来の料理好き、工夫好きの私は、彼女たちでもおいしく作れる方法を考えては試作し、アメリカから取り寄せた本で料理用語とレシピの書き方を勉強しながら、風変わりな料理教室をスタートさせたのです。

 

私の料理で子供たちの一生の味覚が決まり、家族の絆もできるすばらしさ!

末の息子が生まれてすぐから、本格的に料理の仕事を始めましたが、家庭料理を教えるからには「どんなに忙しくても、おかあさんは人手を借りずにごはんを作る、家族のだれからも愛される料理を作る」を私の基本路線にしました。

食は1年365日、1日3回のこと。

食べることは体づくりの基本の「き」。

家族そろってみんなでこはんが、私の願い。家族そろってみんなでごはんは、何より楽しい。
3人の年子の子供たちと囲む食卓でも、子供の好きなひき肉料理でさえ、私は、お子様風にはつくりませんでした。

一生の味覚や食習慣は、毎日の食事を通して育まれ、身につくもの。
私が「食」のすべてを両親から受け継いだように、子供のときに覚えた味は一生忘れません。
お魚好きに育てたいと思っていたら、子供が4歳、3歳、1歳になったとき九州に転勤。

私が魚料理の腕を上げたのも、新鮮で安い魚に恵まれたからでしょうね。
切り干し大根などの伝統的なお惣菜は、食物繊維たっぷりで、丈夫な歯とあごを育てるにはピッタリですし、仕事を持つ私には、日もちがするおかずとしても魅力だったので、わが家の食卓には欠かせないものでした。

 

いろいろチャレンジできたのは、育ち盛りの子供3人と偉丈夫な主人、とにかく食欲旺盛な家族のおかげです。

「食欲のある子供、明るい子供、丈夫な子供」が、わが家のモットーでした。
そのために、まず、スポーツを、と3人とも3歳からスイミングクラブに入れて、高校卒業まで続けました。
中学生になると、夏期練習は朝夕2回。

それに合わせて、食事は1日5回です。
3人が中学・高校だったとき、わが家は夕食とお弁当だけで、1ヶ月60kgものお米がなくなったものです。
こんな調子ですから、食べ盛りのときは、たくさん作るし、わが家のエンゲル係数は上がるばかり。
そうなると、安い素材をおいしく食べる工夫をしなくては…。

栄養も豊富な牛すじ肉、鶏もつ、豚軟骨、いわしなどを圧力鍋で煮込んで、手間をかけずに、とびっきりおいしい、立派な料理に仕立てることに夢中になりましたね。

食べさせることに追われていると「ご飯さえあれば」とは、よく言ったものだと思います。
あつあつのご飯さえあれば、いつだって、それなりの対応ができますもの。

おかなをすかせた息子が仲間を連れて帰ってきたとき、主人が一人遅く食事をするとき、できたてを出せるのがうれしくて、ご飯のレシピはあきれるほどふえました。

 

料理のおもしろさ、楽しさを味わうのは、思った通りに作れたとき。手間も時間もかけたときは、なおさらです。

私は、自分でもあきれるほど、おいしいものを作ることが、好きで好きでたまりません。
人からは「三度のご飯より好きな料理」と笑われるほどです。

私にとって、料理は最高におもしろい家事とつくづく思います。
それもこれも、毎日おいしく作る工夫をしてきたからでしょう。

思い通りに、きちんとおいしく作れたときの楽しさ!、おいしく食べてくれる顔を見る喜び!がまた、私の意欲をかきたてるのですから…。

両親のよき時代の思い出の味だった横浜中華街のチャーシュー、銀座ローマイヤのコーンドタン、帝国ホテルのオニオングラタンなどを私なりになんとか作れないものか、と本を師としてチャレンジしたり。
学園祭のバザーで、わが家自慢のカレーを大鍋にいくつも作ったり。
お祝いには、得意のさばずしを届けたり。
日常のごはん作りとは違った料理にも、なんと熱烈だったことか。

転勤族だったわが家は、これまで16回の転居を繰り返してきましたが、どこでも、すぐに、「食べる」ことを通して、おつき合いの輪が広がっていきました。
おいしい、忘れられない味は、家族はもちろんのこと、人と人とをつなぐ、すばらしい留め金のようなもの、という気がします。

 

これまでのレシピや工夫を収めたファイルは、私にとってはかけがえのないものです。

こうして30年あまり、家族のために私のために、毎日おいしく作る工夫をしてきたおかげで、私の実生活から生まれたレシピやアイデアは、数えきれないほどです。

そのうえ、私はメモ魔で切り抜き魔、ひらめいたらとりあえず実践してみるのがモットー。
食生活にかかわる情報やデータの収集にも、人並みはずれて熱心です。

そのすべてが2400冊のファイルに収まって、一目瞭然に分類されて、壁面いっぱいに並んでいるのを見ると、私は「食あっての幸せ、食こそすべて」との思いがしきり。
まだまだ興味は尽きません。